狐の杯

Sep 10 2014
我々70年代前半生まれは、20代、30代は注目されず、40代になって初めて世の中でちょっとだけ何かができるようになったかなと自信が出てきたと思ったら、すぐに老害行きという気もします。

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Sep 09 2014
「自分が知っていることを公開する」というのは「自分の無知を晒す」ことと表裏一体、というよりもイコールなのですよ

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「月に1万以上かかるなら、お金のかかる趣味。趣味に家計を支配されるのは避けよう」って説く日経にのってるフィナンシャルデザイナーのすごくいやな雰囲気が何に似てるのかわかった。ミヒャエル・エンデの『モモ』の時間貯蓄銀行からやってくる灰色の男たちの語り草にそっくり。

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日本の記者が男子プロテニス選手のロジャー・フェデラーにインタビューしたときに「なぜ日本のテニス界には世界的な選手が出てこないのか」と聞いたらしいんです。するとフェデラーは「何を言っているんだ君は? 日本には国枝慎吾がいるじゃないか!」と言った。国枝慎吾とは2008年の北京パラリンピックで金メダルを獲得した車椅子のテニスプレーヤーですが、残念ながらこの国のジャーナリズムの障害者スポーツに対する認識はまだその程度ということでしょう。

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松島みどり法相の見解は、日本人の多くが心の底に持っている「世間から普通と認められる人は犯罪などしない」「世間から普通と認められている人がすることは犯罪ではない(イジメとか)」「世間から普通と認められていない人に人権は必要無い」価値観の素直な反映だと思われる

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でもそのときは、僕はスティーヴに文書を求めるなんてことはしないと思います。そして、あの電話を失くしたエンジニアの記事をもっと同情を込めて、名前を出さずに書くと思います。スティーヴは「きみたちは楽しんで、あのスクープを書けたのに、欲も深い」と言いました。そしてそれは正しかったんです。そう、僕らは欲張りすぎたんです。切ない勝利でした。それに僕らは目の前しか見えていませんでした。

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そもそも、女の平均寿命が長いというのは根本的な性差別だと思う 医療資源は男に集中的に投入して寿命の差を縮めるべきだ。

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Sep 08 2014
情報リテラシーというのは一言で言えば「自分がその真偽を知らないことについても真偽の判定ができる」能力のことです。情報の「コンテンツ」そのものではなく、その情報がもたらされるときの「マナー」を見る能力だと言い換えてもいい。情報そのものではなく、それをもたらす人間を見る。情報そのものより、それを伝える生身の人間の方が圧倒的に情報量が多いからです。

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かつて「人を見る眼」という言葉がよく口にされたのは、「エビデンスがないときにでもその人のもたらす情報の真偽を判定できる能力」が必要だということを昔の人はよくわかっていたからだと思うんです。生死の境にあって、見知らぬ人に自分の運命を託さなければならない極限状況というのは戦時中には現に頻繁にあったわけです。この人は信用できるのか、うかつに信用すると身ぐるみ剥がれるのか、それを一瞬で判定しなければならなかった。僕の父はその時代の人間ですけれど、人間について外形的な情報、地位だとか業績だとかは、その人間が信頼できるかどうかの判定基準としては使えないということをつねづね言っていました。

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パートナーシップとはお互いの「出会い×育成×許容」である。

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